東京地方裁判所 昭和37年(ワ)1910号 判決 1964年7月29日
原告 木下立嶽
被告 東京都
代理人 常陸昌亮 外二名
主文
1 被告は原告に対して金一、四五〇円の支払をせよ。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は三分してその二を原告の負担とし、その一を被告の負担とする。
事 実(省略)
理由
一、請求の原因第一項の事実は、当事者間に争がない。
二、起訴前の勾留は、被疑事件について公訴を提起した際に、被告人となるべき者の出頭を確保し、公判審理を維持することを本来の目的とし、あわせてその間被疑者が罪証を隠滅することを防止するための制度であることは、刑事訴訟法第六〇条の規定に照らして疑をいれない。
ところで、勾留状の執行によつて生ずる、被疑者と国家機関である捜査機関との関係は、刑事訴訟法、監獄法、同法施行規則その他これに関連する諸規定によつて規制される公法上の法律関係であることは、被告の主張するとおりである。しかしながら、この法律関係を公法上の特別権力関係ということが適当であるかどうかの詮議はしばらくおき、かような法律関係が設定されたからといつて、勾留された被疑者の基本的人権が捜査機関の裁量によつて制限をうけることにはならないのであつて、やはり起訴前の勾留制度の目的に照らし、合理的とみられる範囲においてのみ基本的人権に制限を課することができるにすぎず、これを規制するものは刑事訴訟法以下の諸規定でなければならない。
ところでその反面において勾留のための施設は、すべて国家ないし地方公共団体の費用によつて賄われ、国家ないし地方公共団体が勾留の施設に割き得る予算に一定の限度のあることはいうまでもなく、その限度は一般国民の生活程度を基準として画定すべきであつて、勾留された者がその限度をこえて勾留施設管理者に余分なサービスを要求することは許されないといわなければらない。
そこで、かような見地に立つて、原告の主張を順次判断する。
三、日刊新聞紙の閲読について
(一) 目黒警察署において留置場の各房には日刊新聞紙を備え付けなかつたこと、同署に備えてある日刊新聞紙を留置人に読ませなかつたことは、当事者間に争がない。
(二) 原告は、警察署では日刊新聞紙を各房に備付けて、被疑者の閲読に供さなければならず、もし備付に支障があれば警察署用の日刊新聞紙を閲読させなければならないと主張する。しかしながら、一般社会において新聞紙は無料で自由に読めるものではなく、新聞を読みたい者は自費で購読しなければならない。もつとも旅館などで新聞を自由に読めるように備えているところもあるが、これは顧客に対する特別のサービスとしてそうしているのに過ぎない。してみれば、警察署としては新聞紙を留置場の各房に備え付けたり、警察署用の新聞紙を無料で留置人に読ませなければならない義務はないものといわなければならない。
たゞこゝで問題となるのは、留置人が自費による新聞紙の購読を申し出た場合、監獄法施行規則第八六条第二項が新聞紙の閲読を禁止している関係上、この申立を許すべきかどうかの点であるが、原告本人尋問の結果によれば、原告が勾留期間中目黒警察署の係官に対し日刊新聞紙の買入を申し出たことはなかつたことが認められるので本件ではこの点に論及する必要はあるまい。従つて目黒警察署の措置には別段違反のかどはなかつたものといわなければならない。
(三) 原告は拘置所や刑務所における措置を楯にとつて目黒警察署も同様の措置をとるべきであると非難しているが、刑務所における受刑者の処遇は被疑者の勾留の場合とちがつて受刑者の改過遷善という教育の目的にかなうよう運営されるから、これを直ちに被疑者の勾留にあてはめるわけにはいかない。また、拘置所において仮に原告主張のような運営をしているとすれば、それは望ましい措置には違いないであろうが、そうしないからといつて直ちに違法であるということにはならないのである。
四、ラジオ放送の聴取について
(一)目黒警察署では、勾留されている者に対し、ラジオ放送をきかせる措置をとらず、留置場の各房にスピーカー等放送聴取の設備も設けていないことは、当事間に争がない。
(二) 原告は、警察署は留置場の各室にスピーカーを設置し勾留されている被疑者にラジオ放送を聴取させなければならないと主張する。しかしながら、警察署にさような義務のないことは、新聞紙の場合と同様であるといつて差支えない。携帯ラジオの購入を許すべきかどうか、その聴取を房内において許してよいかどうかは問題であるが、この点は原告もあえて主張はしていない。目黒警察署の措置に別段違法の点はない。
五、雑誌の閲読禁止について、
(一) 目黒警察署が原告所有の雑誌文芸春秋昭和三七年二月号を五日間だけ原告に読ませたのち、これを取り上げたことは、当事者間に争いがない。
そして、原告本人尋問の結果によれば、原告は勾留中に、その所有する雑誌の閲読を強く希望し、更に当時発売されていた雑誌中央公論を自費で購入して読みたいと同署の係警察官に申し出たがその購入を許されなかつたことが認められる。なお、原告はその所有する週刊誌サンデー毎日、週刊朝日の閲読を申し入れたと主張するけれども、これに関する原告本人尋問の結果は証人真木幹夫の証言と対比すれば、にわかに信用することができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(二) そこで原告に文芸春秋を五日間しか閲読させなかつたことと、中央公論の購読を許さなかつたことの適否について考えてみると、被告はかような雑誌の閲読を許容することは、捜査上の支障を来たすおそれがあり、また留置上の保安や規律保持のうえに支障があると認められるので、監獄法第三一条、同法施行規則第一四二条被疑者留置規則第三〇条第三一条を類推して自由権に制限を加えたにとどまり何ら違法ではないと主張する。
しかしながら、雑誌文芸春秋、中央公論を被疑者に読ませることが犯罪捜査の支障になるとは常識上とうてい考えられない。もし雑誌を利用して共犯者と通謀するおそれがあるというのであれば、これを防止する途は別に講ずれば足りる。
また前記雑誌を読ませることが留置上の保安や規律保持の上に支障があるとも考えられない。なぜならば、監獄法第三一条第一項は在監者が雑誌の閲読を請うときはこれを許すのを原則と定めているからであり、目黒警察署が文芸春秋の閲読を五日間許したものもこの趣旨にそうたものということができよう。
(三) ところで、監獄法第三一条第二項は例外として雑誌閲読を制限する場合を認めその内容を命令に委ね、同法施行規則第八六条はこれをうけて監獄の紀律に害のあるもの及び時事の論説を記載するものの閲読を禁じている。世上一般に流布する雑誌のうちいわゆるエログロ雑誌とか犯罪実話雑誌とかは監獄の紀律に害があるともいえようから、その閲読を禁止することに異論はないであろうが、文芸春秋、中央公論がこれらのカテゴリーに属する雑誌でないことは明らかである。
(四) 問題となるのは、両誌が時事の論説を記載した雑誌であることが明らかである以上、これを理由にその閲読を禁じ得るかという点であるが雑誌の閲読が原則として許されている限り、時事の論説を記載した雑誌のみが特に被疑者に禁止される合理的な根拠は、どうしても発見することができない。けだし時事の論説を記載した雑誌が一般の雑誌以上に留置人の逃亡を助長するとか、罪証を隠滅するのに役立つとかいうことはあり得ないからである。
憲法第二一条は言論、出版その他一切の表現の自由を保障しており、ここにいわゆる表現の自由とは、あらゆる手段による思想発表の自由を指すのである。ところで、思想発表の自由を完全に保障するためには、発表された思想を伝達する自由、その思想の伝達を受ける自由が保障されなければならない。憲法第二一条はこれらの自由をも保障したものと解するのがその趣旨に合致する所以であると考える。この考え方が正しいとするならば、監獄法第三一条が在監者に雑誌の閲読を原則として許したのは、この法意に則つたものであると解することができるのであつて、監獄法施行規則第八六条がなんら合理的根拠もないのに時事の論説を記載した雑誌の閲読を禁止しているのは、憲法第二一条が保障した前記の自由を侵害するものであり、違憲の規定であるといわざるを得ない。
そうしてみると、被告が監獄法施行規則第八六条を適用し又はこれと同趣旨の同法第一四二条を類推して文芸春秋を五日間しか閲読させず、中央公論の購読を許さなかつたことは、違法の措置であるといわなければならない。
六、入浴について
(一) 原告が一三日間の勾留期間中、昭和三七年一月二七日に入浴したこと、目黒警察署では毎週土曜日を入浴日と定めているので、原告は同年二月三日に入浴の機会があつたにもかかわらず、当日検察庁における取調があり、同署に帰されるのが遅かつたため入浴できなかつたことは、当事者間に争いがない。
(二) 監獄法施行規則第一〇五条によれば、一〇月から五月までの間は、少くとも七日毎に一回は入浴させなければならないと定められている。監獄及び代用監獄においては、その施設の運営上、一定の日をきめて定期的に入浴日とすることに別段不当な点はない。しかしながら、警察の留置人については、検察官が被疑者を取調べるため出頭を求めることがあることは当然予想しなければならないところであつて、取調に時間を要し定期の入浴日に入浴できない事態の生ずることももちろんあり得るから、かような事態に対処するため別の入浴日を設けることによつてはじめて前記法条の要求を満たすことになる。
けだし、監獄法施行規則第一〇五条は、七日間に一回入浴の機会を設ければよいということではなく、個々の在監者に対して少くとも、七日間に一回は入浴の機会を与えなければならないという趣旨であることが明らかだからである。従つて、目黒警察署が定期の入浴日以外にこれに代る入浴日を設けず、原告に対して入浴の機会を与えなかつたことは監獄法施行規則第一〇五条に違反する違法な処置であつたといわなければならない。
してみると、目黒警察署のこの違法な措置によつて、原告は入浴を享有しうる権利を侵害されたということができよう。
七 石けんの使用について。
(一) 目黒警察署において、毎朝洗顔に際して石けんを用いることを許さなかつたことは、当事者間に争がない。
(二) ところで、証人塚本清市、真木幹夫の各証言によれば、目黒警察署でこのような措置をとつた理由は、起床後短時間のうちに多くの留置人に食事等をさせなければならないため、留置人にいちいち石けんを使用させていては時間がかかりすぎるというところにあつて、この場合を除いて石けんを使用すべきときにはすべてその使用を許していることが認められる。
(三) 現在、わが国において、石けんは日常生活の必需品であつて、一般にその使用を許すべきことは、監獄法施行規則第八九条第六項で石けんを給与すべき旨規定しているところからみても明らかである。従つて、全く石けんの使用を許さないというのであれば、同規則に違反するけれども、朝だけに限つて石けんを使わせなかつたという程度のことであれば、留置人の身体がそのために不潔になつたり不衛生になつたりしたという原告の主張は、どうみても極端な言分としか考えられない。
してみれば、目黒警察署の前記措置は、妥当かどうかはともかくとして、違法ということはとうていできないであろう。
八 自弁糧食の購入について
(一) 原告が勾留中一週間に少くとも三回程度は自弁で糧食を購入したいと申し出たが、昭和三七年二月三日の一回しか許されなかつたことは、当事者間に争がない。
(二) ところで、その趣旨及び方式からみて真正に成立したものとみとめられる乙第四号証及び証人塚本清市、真木幹夫の各証言によれば、原告の勾留期間中、目黒警察署の与えた食事は、与えられた予算の範囲内で保健の要請に応えうるものであつたこと、自弁糧食の購入の申出に対しては、毎週土曜日に一括して購入することを許していたことが認められる。
(三) 原告は隔日に一回は自弁糧食の購入を許されなければならないと主張するけれども、監獄法第三五条、同法施行規則第九八条は、留置人の自弁による糧食購入の申出を許すかどうかその種類及び分量をどのように定めるかを監獄管理者の自由裁量に委ねており、原告の主張するような義務を管理者に課してはいないのみならず、この規定は、それ自体憲法第二五条に違反するとはいえない。
けだし在監者に保健上必要とする糧食を警察署において供与している以上、その上さらに原告が要求するような義務を憲法が規定しているとはとうてい考えられないからである。
してみれば、目黒警察署のとつた措置は、妥当かどうかは別として前記自由裁量の範囲を逸脱したものということはできず、これを目して違法の措置という余地はない。
九 してみると、本件において原告が主張している諸点のうち雑誌の閲読購入と入浴との二点において目黒警察署に違法な措置があつたわけであり、これらはいずれも行政上違法な処分といつて差支えないだろう。そうして、原告はこの違法処分によつて自由権を侵害されたということができるから、これによつて原告が物質上の損害を被つたかどうかはとも角として、精神上の損害を被つたことは、けだし否定するわけにはいくまい。
そうすると、公共団体である被告は国家賠償法により目黒警察署が原告に与えた精神上の損害についてこれを賠償する責任があるわけであつて、その慰藉料の額は精神上の損害の生ずるに至つた経緯、その態様に鑑み、雑誌の閲読購入については原告の主張する金八五〇円、入浴については同じく原告の主張する金六〇〇円を下らないものと算定するのが相当である。
十 よつて、原告の本訴請求は、以上合計金一、四五〇円については正当であるから認容するが、その余は失当として棄却を免れないので、訴訟費用について民事訴訟法第九二条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 古関敏正 石崎政男 高桑昭)